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3.11 東日本大震災について話そう に参加中!
こんばんわ。
本日で東日本大震災から2年ですね。
そのため、震災が起きた時のことを振り返ってみようと思います。


僕は東京にいたので、 地震を体験しました。
僕が中学3年で大掃除をしている時でした。
東京も大混乱でした。
電車は動かないし、道路は人で溢れかえってるし、携帯はつながらないし。
とにかく僕にも大きく「キオク」に残っています。
東京だったので、部屋がぐちゃぐちゃになっただけで済みましたが、自宅に帰るとテレビでの報道がすごかったです。
津波の映像は圧巻されました。

あんなにも無残に、一瞬にして街が波にもまれ家も車も流されていったのを見て唖然としました。
東京の被害なんて屁でもないなって感じました。
人が築き上げてきた、町並み、思い出、すべてを一瞬で流し破壊していきました。
瓦礫だけを残し、無残な姿とかしてしまいました。

次に見たのは原発の水素爆発です。

テレビでこの映像を見たのを鮮明に覚えています。
これは本当にやばいって思いました。
津波にも唖然としましたが、原発の爆発はチェルノブイリ事故が頭に浮かびました。
僕自身社会がとても好きで、チェルノブイリ事故のことはよく調べていて、その後どうなったのか知っていました。
これは日本の終わりだなと感じさせる瞬間でした。
まあ幸いにも日本の原子力発電所はソ連のチェルノブイリの原子力発電所と違い格納容器というものがあったので、被害はチェルノブイリ事故よりも抑えられたかと思います。
東京もそこまで放射線量が上がらなかったのが幸いでした。
しかしそんな甘いもんではありませんでした。
福島県では今も放射線量が高く、原発周辺に住んでいる方は故郷から離れなきゃいけなくなってしまいました。
今まで住んでた思い出のある街から離れるのはそう簡単できることではないでしょうし、とても辛いことでしょう。
僕だったら、耐えられないと思います。
さらに風評被害というものが発生しました。
世界の人々が日本製品を買わなくなり、日本人でさえ農作物を買うのを控えてたと思います。
輪番停電も実施されましたが、そんなの原発事故や津波の被害と比べると屁でもありません。
この震災は日本に大打撃を与え、また経済を止めてしまいました。
でもそんな中嬉しかったことがありました。
各国の援助や義援金などです。
有名なものというと、台湾の義援金が世界一の額となりました。
台湾の方々の日本を助けたい、何かできないかという思いが伝わって来ました。
あとアメリカのトモダチ作戦も「キオク」に残っています。
同盟国として信頼出来る素晴らしい支援でした。
最後にブータンの国王の援助です。
ブータンという国はあまり大きくないですが、国王が義援金100万ドル(8000万円)を贈ってくれたのも印象的でした。
また他の各国からも日本への義援金が集まりその恩は計り知れないものとなりました。
一日本人としてとても感謝しています。
この恩は忘れません。


最後に東日本大震災で被害にあった方々、遺族の方にお悔やみ申し上げます。
2011.3.11忘れてはならない「キオク」に残る日です。
同じ過ちをおかないように、津波対策、原発の安全対策を行なって欲しいです。
みなさんも震災にあったときのために対策をしておいたほうがいいと思います。
僕はこの地震で学び、非常用の水、食料を確保するようになりました。
この震災を通して、自然災害の怖さ、被害の大きさをよく知れたと思います。
この震災を忘れず、「キオク」に残し、次の災害に遭った時に生かせるものにしていただきたいと思います。
暗い内容となってしまいましたが、忘れてはならない日だと思うので、記事とさせて頂きました。